交通事故
日時:2009年4月26日 9:30am頃
場所:福岡市博多区 県道555号線交差点
救助者:緒方隆二(MFAインストラクター No.201028)
出来事と救助者がとった行動:
2009年4月26日(日)午前9:30頃のことですが、自宅近くの大きな交差点で事故の音がしたので様子を見にいくと、直進してきた乗用車と右折する軽自動車が交差点内で衝突事故を起こし、交差点脇に乗用車と軽自動車が信号に衝突して停止していました。横断歩道を渡りながら、救助にかかわろうと決めました。
近づきながら安全を確認し、3名くらいの男性がいたので119番通報をしたか確認し、乗用車運転手を探すと、フロントが壊れ、アクセルを踏み込んだ状態で止まり、大きなエンジン音がしている車の外で電話をかけていました。エンジンを切るように頼み、軽自動車の様子を見たら、同じくフロントが潰れ,信号機に衝突し、運転席に挟まれた女性がもうろうとした状態です。
後部座席にチャイルドシートが見えたので、同乗者はいないか尋ねると,子どもが後部座席にいると言うので覗き込むと足元にうつぶせの子どもがいました。少し動いていたので、近くにいた方に母親の頭が動かないように支えてもらい、1歳くらいの子どもを取り出しました。抱き上げると泣き出しましたが、そのまま頭を動かさないように抱きながら、母親の頭を固定していると,私服の消防士が駆けつけ、すぐに母親の頭部固定を代わってくれました。救急車が来るまで子どもを抱き、近くにいた知人に救急車の誘導をお願いして、到着した救急隊に子どもを渡しました。
救助者の感想:
とにかく驚いたのが、MFAのガイドブック通りにすべてが進んでいることに途中で気づき、段々冷静になってきている自分に気づいたことです。 それは、衝突音を聞いて様子を見に行くことで緊急事態に気づき、現場手前の横断歩道を渡りながら救助しようと決断したところから始まり、そこからは勿論、SETUP、バリア、意識レベルの評価、背骨の受傷機転と、ガイド通りに体が動いたのです。
ただ、グローブがなかったので、着ている服の袖を伸ばし車内にあった布をバリア代わりにして頭部を固定しました。頭部の出血はほとんどなかったので血液が手につくことはありませんでしたが、大きな反省点になりました。
しかし、事故後4時間たった今も、私は緊張しているのか?興奮しているのか?体の震えなのか?変な感じがします。これからゆっくり休みたいと思います。
編集者註:事後に震えが来るのはごく自然な現象で、アドレナリンが放出された後の後遺症と考えられます。ゆっくり休み、どなたかと体験を共有することが大切です。
日時:2004年9月27日 7:40am頃
場所:静岡県・静岡市、横内町交差点
救助者:田村 明美さん(MFAプロバイダー)
MFA受講日:2004年9月20日
出来事と救助者がとった行動:
静岡市内の通称、『北街道』横内町交差店(押しボタン信号)付近を歩いていたところ、同交差点内で原付きバイクと乗用車との接触事故が発生。原付きバイクを運転していた老人(70才台くらいの男性)が、車道のまん中に投げ出され、倒れたままになった。
患者にかけ寄り肩をたたき、「大丈夫ですか?」と声を掛けたが、返事はできない状態。とりあえず「応急手当の訓練を受けていること」と、自分の名前を言い、救助に当たることにしました。
患者は呼吸がしっかりしていて循環の徴候もありましたが、右足のくるぶし辺りからかなりの出血がありました。
けいつい損傷の可能性もあると思い、その場から動かさず、まわりにいた方に 通報をお願いし、同時に交通整理を行いました。
患者のヘルメットをそっとはずし、声をかけ続けると、私の声に反応するようになり、自分から立ち上がろうとしたので、首にケガはないと判断し、まわりの方に手伝ってもらい患者を歩道に運び、
「回復体位」にさせました。足の出血部分も骨折はなさそうだったので、タオルで傷口を直接圧迫
し、救急車が来るのを待つ間、名前や電話番号などを聞きながら患者を励ましました。
救助者の感想:
私は、救助に当たった1週間前(平成14年9月20日)にMFAベーシックの訓練を受けたばかりでした。
正直申しますと、仕事で必要だったので半ば義務的な気持ちで受講し、受講時も「実際に使うことはないだろう。」と思っていましたので、たった1週間で自分が救助に当たることになったことは本当に驚きです。もし、訓練を受けていなかったら、患者にかけ寄る事はできなかったと思います。
患者は意識もあり大ケガもしていなかったとはいえ、とても緊張しました。しかし、訓練を受けて日が浅かったため、自然に体が動き、落ち着いて行動することができました。
訓練を受けて本当に良かったと感じると同時に、大変貴重な体験をしたと思います。
日時:2003年8月14日(通報時間 PM 0:49)
場所:北海道上川郡美瑛町字新星第4
救助者:柳田 和美さん
MFA受講日:2002年11月7日
出来事と救助者がとった行動:
箱型トラックと83歳の男性が乗ったバイクが、信号のない交差点にて衝突した現場を通りかかった。 私が到着した時には既に車が7~8台停車して、遠巻きにして自衛官と思しき1人が交通整理をしていた。 私は車を事故現場から少し離れた邪魔にならないと思われた場所に駐車。車の中の救急救命道具 箱からバリアを取り出し、装着しながら患者に近づき現着。レサコのマウスチューブは常時携 帯。このとき既に、患者のそばにいた二人の男女のうち女性の方が携帯で119番通報していたので、切らないようにお願いする。 患者は事故直後のヘルメットを装着した状態のまま、 路上の縁に横たわり、足は不自然に折れ曲がり、鼻血も少々見られた。 患者の様子をチェックして、救急法の講習を受けた者ですと自己紹介をしたが呼びかけに対する反応なし。 呼吸なし、頚動脈の脈なしを確認して、携帯を貸して貰い、たぶん消防署の方だと思うのですが直接話をし、 患者の意識・呼吸・脈なしの状況を説明。CPRをするかどうか尋ねると、CPRができるようだったら お願いしますとのこと。消防車の到着予定時間を聞いたところ、もう間もな くとのことだった。
次にヘルメットを脱がしましたが、この時先に救助にあたっていた男女の女性の方 が「何かできることありませんか」と積極的に協力を申し出てくれたのが、嬉しかっ たのと同時に安心感もでました。ヘルメットの脱着に関して、たぶん協力者の手を借り たのだと思いますが、正確には記憶していません。このことはむずかしいと思われ る、ヘルメットの脱着(特に今回のような意識・呼吸・脈なしの状況と頚椎にもダ メージが予想される場合)に課題があったと、後日思いました。ヘルメットの脱着後、片耳から はほんの小量の出血が見られたと記憶しています。
次に、口腔内異物の確認、何もなかった。 そして気道確保。これも頚椎にもダメージが予想される今回のような場合、下顎挙上 法が最善だとは思ったが、この下顎挙上法を私が充分にマスターしている自信がな く、とっさに自信のあるアゴ先挙上法を実行しました。 次にCPRの実行に移るべきだったのかもしれませんが消防隊の「間もなく到着」という言葉で、 現実には実行せず、このアゴ先挙上法を続け消防の到着を待ったのが今回の状況で す。この間の消防隊到着までの時間が正確に何分だったのかが、私自身も気になるところです。大変に 長く感じられたのも事実ですし、短かったようにも思え、間もなく到着するのだから という気持ちもありました。
この時は初めての体験だったことと、患者の鼻血、そして 「間もなく到着」という言葉等から、1~2分でもCPRを実行できたかもしれませんが アゴ先挙上法を続けながら消防隊の到着を待ちました。 今は迷うことなくCPRを実行するでしょう。
消防の到着後、患者のシャツを特殊なハサミで切り開き、口からチューブを差 し込むところまでお手伝いをしてから立ち上がり、外したバリアの処分を消防の方に依頼し、現場を離れました。ちなみに、消防の到着時間は、0:59p.m.とのことでした。
日時:1999年4月20日 3:00pm頃
場所:埼玉県・戸田市内の公園前の路上
救助者:安住 恵美子さん(MFAプロバイダー)
MFA受講日:1998年7月5日
出来事と救助者がとった行動:
私は友人の川平さんと各々の子供計5人と公園で遊んでいたところ、公園から5歳位の子が道路へ飛び出し、生協のトラックに衝突してしまいました。
現場を目撃していたので、すぐに自分の子供を友人に頼み、かけつけると、トラックから2メートルくらい離れた所に子供が横たわっていました。すぐに人が集まってきて「はじのほうに動かして救急車を呼ぼう!」と言っていたので「ちょっと待って下さい、動かさないで下さい」と、まず、叫びました。子供は目がうつろで、小さな声で「お母さん」と泣いていました。「大丈夫だよ、すぐお母さんくるからね」と言いながら、「近所の人、誰かバスタオルを持って来て下さい!」と言いながら、衣服をゆるめ、脈を計りながらMFAで習った通りの行動をとっていたようです。後で一緒にいた友人(看護婦)が『私の知る限り言うことはなかった』と褒めてくれました。
救助者の感想:
その後、親ごさんが私を探し出し、家まで訪ねていらして「事故直後の処置がとても良かったですと救急隊の方がおっしゃってました」とのことでした。脳出血はありましたが、動かさなかったのが幸いして命に別状はないとの事でした。私も心からMFAを受講しておいてよかったと思っています。
日時:1998年7月23日 8:47am頃
場所:栃木県芳賀郡付近の交差点(信号なし)中央部
救助者:森下 洋行さん(MFAインストラクター)
MFA受講日:1996年3月31日インストラクター資格取得
出来事と救助者がとった行動:
出勤途上の坂道の交差点中央部に小型トラックが横転していた。場所は我が社の関連会社の前。「あ~あ、こんなところで・・・」と思った瞬間、横転したトラックの助手席のピラーの下から人の顔が出ているのを発見した。 事故車の近くに当事者らしき人物が2~3名いた以外は誰もいなかったので、事故直後らしいことが推測できた。
救急処置の必要性を直感したので、私の車を左に寄せ、歩行者がいないことを確認のうえ、ガードレールの切れ目から歩道に乗り上げて停車した。患者は完全に車の下敷きになっており、頭部から出血が見えた。救急車の必要を判断し、周囲の人に「救急車を呼んだか?!」と呼びかけたが、まだだとの返事だった。
携帯電話(IDO)から通報しようと、あらかじめメモリしておいた栃木県消防本部を呼んだが交換手が出てしまい、緊急通報は無理と判断、一般電話からの通報をすることにした。隣接の会社から人が出て来たので、通報を頼むと、すでに呼んだとのことだったので、私は患者のケアを開始した。
患者は50才くらいの男性。横転時に助手席から放り出されて、そのまま車の下敷きになったらしい。車の看板から造園業者の作業員らしい。患者に呼びかけても応答はない。目は開いていたが眼球の動きはない。患者の胸部から下は完全に車の下敷きとなっており、呼吸など、できている様子ではない。このままの状態では気道開放すらできない体位だった。
二次災害の防止のために、現場にいた人に交通整理を依頼した。事故を知って集まってきた人達数人が力を合わせて横転したトラックを起こした。トラックはギアが抜けているようで、そのまま坂道を動き始め、数人があわててしがみつき、停車させたが、二次災害の危険性があった。 この前後に、セルフプロテクションの必要性を思いだし、CPRキットを取りに自分の車に戻った。私は車載してあるライフジャケットにCPRキットを常備してある。
トラックの方は他の人々に任せ、私はラテックス手袋をはめ、患者の呼吸と脈拍をチェックした。頚動脈では脈は感じられず、他の人が手首でも脈をチェックしたが、判然としなかった。
さらに他の人が呼吸のチェックをしていたが、頭部後屈で気道を解放しても呼吸は感じられず、胸部の動きもなかったため、CPRが必要と判断した。頭部下部より若干の出血(100ml程度)が認められたので、気道開放のために極端な頭部後屈にならないように注意した。
一緒に容態確認をしてくれていた人に「心臓マッサージをしましょう」と声をかけると、「私が人工呼吸をしましょう」と申し出てくれた。このとき、とても心強く感じた。キットからマウスシールドを取りだし、患者の口に挿入して人工呼吸の準備をしてからマッサージを開始した。ランドマークチェックをしようとしたが、肋骨を多数骨折しているようで、正確なランドマークは確認できなかったので、胸部中央上部に手を置き、圧迫を開始した。肋骨損傷があるので、力を加減しながら3~5cmほど沈むくらいに圧迫した。
次に、マウスツーマウスで息を吹き込んだが、明確な胸部の盛り上がりは見えなかった。しかし、人工呼吸を担当している人が呼気は入っているとのことだったので、CPRを継続することにした。
CPRを継続し、5分程経過したところで人工呼吸を担当している救助者に疲れが見えた。白い制服を着ている周囲の人達に「誰かCPRできませんか?代わってください」と呼びかけたが、ほとんどの人は顔を見合わせているだけだった。誰もCPRの訓練を受けていないのかと、とても残念な気がした。一人、私服の人がかわりましょうと名乗り出てくれたため、人工呼吸の担当を交代した。
救急車がいつ着くのか、ずいぶん長い時間が過ぎたように思った。散乱したガラスの破片のために人工呼吸がやりにくそうなので、周囲に敷布を要求したら誰かが制服を脱いで数枚提供してくれた。
このあたりから、患者の腹部が固く膨満してきた。腹腔内部の内出血が予想されたが手の施しようがなかった。更に3~5分ほどCPRを続けたところで救急車のサイレンが近づいてきた。やっと一次救命処置から解放されると思ったが、実際には隊員が担架を用意したりして患者を引き取る準備をしていたので、さらに2~3分かかったのではないかと思う。隊員側の準備ができたところで患者は救急担架に移されて救急車内で器具を使ったCPRが継続された。
この段階で、CPRに拘わった人達で労をねぎらい、一次救命処置を終了した。
はじめに人工呼吸をしてくれた人は50才くらいの関連会社の方だと思われる。後に人工呼吸を交替してくれた人は20才代で、HGT社の方だと聞いた。事故を見かけて停車してくれたそうだ。
経過時間ははっきりとは分からないのだが、事故発見から車を起こした後のCPR開始まで1~3分が経過したのではないかと思う。その後、救急車到着まで約10分位だろうか。車に戻って時計を見ると、9時7分になっていたので、トータル約20分間の救急処置であった。CPR完了後に周囲を見渡して見て、左側面を大破した別の車を発見し、衝突事故だったことを知った。
救助者の感想:
患者の容態がかなり悪そうだったので蘇生できるかどうか、かなり厳しい状況と思われた。翌日、死亡事故発生の看板と献花があったので、亡くなったことを知り、とても残念に思った。
実際の現場における救急救命処置は初めてであったが、MFA講習を受講していたため、自信をもってCPRを実施できた。
マウスシールドの効果は絶大である。マウスシールドがあったおかげで、他の人も人工呼吸への抵抗感が少なかったのではないかと思う。
多くの通勤途上の人が現場付近を素通りしていたが、CPRを援助してくれたのはたった1人だけだった。
それでも大変有難かった。多くの社員が社内ファーストエイドを受講しているはずだが、実際の現場でその技術を提供できない(しない)のなら、何のための訓練だかわからないなと感じた。(これはそのときの感情的な感想であり、決してその内容を否定するものではありません)正直なところ実践的であるという点で、MFAコースのほうがより有効であると感じた。
また、救急処置後のファーストエイダーに対する心理的ケアの必要性を痛感した。私自身も終了直後から極度に憂鬱な気分になり、気分が悪くなった。
反省点として、第1の患者に目を奪われ、その他にケガ人がいるかどうかのチェックができなかった。実際に他の被害者がいたかどうかは最後まで分からなかった。後の情報で、他に負傷者はいなかったと知った。
SETUPを意識してできたかどうか。SETUPという言葉はその場では思い出さなかったが、以下が当日とった行動である:
S(ストップ): | 歩道に乗り上げて停車して、立ち止まりはしなかったが、周囲の安全は確認のうえ、接近した。 |
---|---|
E(環境): | 交通事故であることが明白だったので、周囲の交通状況のみに注意した。 |
T(交通): | 交通量が少なかったこと、見通しの良い交差点であること、トラックの横転が明白であること等から二次災害の危険性は低いと思ったが十分な安全確保ができていたかどうかわからない |
U(未知の危険): | 未知の危険要素はなかった。しかし、横転車を起こしたとたんに坂道を転がり始めたため、二次災害の危険性がなかったとは言えない。また、割れたガラスが散乱しており、CPRがやりにくかった。 |
P(セルフプロテクション): | CPRキットを常備しており、ラテックス手袋とマウスシールドを使用した。 |
日時:1995年6月17日 4:00pm頃
場所:事故:稲城市是政橋 手当:稲城市大丸2249
救助者:山田 信幸さん(MFAインストラクター)
備考/救助者自身が1992年3月19日にMFAインストラクター資格を取得し、学生を対象に応急手当教育を行っている。
下記は消防本部から礼状をいただいたケースだが、同氏は他にも多くの場で救助にあたっている。
出来事と救助者がとった行動:
大学のサッカー部の対外試合終了後、車で帰宅中、是政橋にさしかかったが、付近の歩道に5~6人の人だかりが見えた。
その、やや前方に、顔面から出血しながら自転車を押す50才過ぎの男性と、車道から声をかけながら追いかけるバイクの男性が見えた。橋の継ぎ目で乗っていた自転車ごと転倒し、顔面をぶつけたとのこと。周囲の人達が救急車を呼んだが、当事者が立ち去ろうとしたので救急車を待つように説得していたとのことだった。
車を徐行しながら横目で様子を見ると、かなり出血していたので、車を止め、持参していたドクターバッグ一式を持って駆けつけた。 男性は少し酔っていて、傷口を見せるのを嫌がったが、私が身分を明らかにし、手当の声明を行うと、男性はやっと座って様子を見せてくれた。バイクの男性も、「こういう人なら見てもらったほうが。」と言ってくれ、救急車を待つ間、渋滞のために混み合っていた交通に注意してくれた。
ラテックスグローブを着用し、滅菌ガーゼで直接圧迫を行い患部の保護を行った。2~3分後に救急車が到着、警察も来たので、経過と処置を報告、身分を明確にしたうえで、帰路についた。
救助者の感想:
男性のその後の詳細は不明だが、稲城市の消防本部より礼状を頂き、男性の無事を知った。改めて、手当の声明の大切さと周囲に与える影響の大きさを知った。また、消防本部からの礼状から、救急隊の方々がいかに初期手当を重視しているか、一般市民の協力を期待しているかということを知る良い機会となった。